話がはずむ人が使っている超絶のスキル

話がはずむ人が使っている超絶のスキル

話がうまい人はイメージ力が強いと前回お話をしました。
相手の話を聞きつつ、その世界を想像する。

ただしそれだけでは、相手が喜ぶようなお話を投げかけることは、まだできません。
ヒントは、もっと前の会話にありました。

「高校ではきっと運動部だったんですね」
「そうです」
「陸上かな」
「そうなんです、陸上です」
「やっぱり!走るの早いもんねー」
「いいえ、そうでもないんですけど」
「あら!謙虚」
「うふふふ」

この何でもないやり取りの中にこそ、話がはずむ人の秘密が隠されています。

「陸上かな」
「そうなんです、陸上です」
「やっぱり!走るの早いもんねー」

▼「陸上です」
⇒「やっぱり!」

「いいえ、そうでもないんですけど」
「あら!謙虚」
「うふふふ」

▼「いいえ、そうでもないんですけど」
⇒「あら!謙虚」

相手が話す ⇒ その世界を想像する ⇒ 共感する
また相手が話す ⇒ 想像する ⇒ 共感する

このやり取りを繰り返していくとやがて互いの心に橋が架かりはじめる。
すると互いの見ているイメージが各々別々だったのに、一つに重なって行く。

こうして二人はつながります。

すると互いがイメージしたものが瞬時に伝わる。
昔、ツーと言えばカーっていう言葉がありましたが、まさにそれ。
以心伝心という言葉もありますね。

これはもう自分自身すら気づかない人の持つ大きな能力です。

キーワードは「共感」

でも、ただ単に「へー」とか「そうなんですか」という感情のこもらない言葉では無意味。

ハリーポッターが使う魔法と一緒で、ただ呪文を唱えれば術が使えるっていうわけではない。

相手の話す世界を想像し、相手の話す世界に入り込んで行く。
相手そのものになってその世界を体験する。

だから共感が生まれる。

「3歳の姪っ子が来ましてね」
と言われたら、その愛くるしさを想像する。
すると自然と「あらー♪」という声が漏れる。

それは想像し、体験したから。

相手とイメージが揃って来るともう話は止まらない。
同じ世界を共有するということは素晴らしいこと。

その喜びで、互いに我を忘れる。

前回で登場したゴルフの若い同伴者の会話。

「いくつ?」「18です」
「よく焼けているね」「はい」
「海に行ったの」「そうなんです」
「生まれは大阪?」「ええ」

という、互いのイメージを全く共有しない会話とは大違い。

話がはずむ人の超絶スキル。
なんとなく伝わりましたか?

全く見も知らない人のことも想像してみよう

新聞広告を見ていると、時々とんでもない誤植を見つける。

それはもう十年以上前の折込チラシ。

「これはお買い得!10坪980円」

思わず電話して「10件ほどもらえますか?」
と聞いてみたかった。
(980万円の間違いなんでしょうね)

また別の広告で、
「この地域でこのお値段はもう出ません。
マンション75平米 2380億円!」

えーーーっ!
マンションの一室がこのお値段ですか!
火星での物件?
35年ローンで月々おいくら?
15億円ぐらい?
少しまけて下さいませんか。
(2380万円の間違いかと)

こんな誤植が出ると広告屋さんはてんやわんやの大騒ぎになるらしい。

怒りまくる広告主。
怒鳴り倒される担当者。
あやまりに走り回る管理職。

今度、広告の誤植を見つけたら、その影で大騒動が勃発している風景も想像してみましょう。

全く見も知らない人のことを想像して、
「ああ、大変だろうな」って同情するのも、
コミュニケーション上達の秘訣かと私は考えます。

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