大阪都構想頓挫 敗因は橋下徹のコミュニケーションにあり

私は最後まで大阪都構想は成立すると思っていました。
橋下徹という人物は本当に魅力的で、政治家としても手腕は一流。
なにしろ数十年間赤字続きであった大阪市政をここ数年で持ち直したのですから、超一流の政治家です。
弁舌も類稀な説得力を持ち、掲げる構想も凡人を圧しておりました。

私は橋下徹の講演会にも入り、パーティにも時々参加させてもらっておりました。
それだけに残念でなりませんが、ではなぜあれだけの人気を誇った橋下徹市長は敗れたのでしょうか。

理由は様々でしょうが、仕事柄、彼のコミュニケーションの取り方に焦点を当ててみたいと思います。

結論を言えば、「正しいのだから言うことを聞け」という彼の手法に大きな反発が生まれたからだと思います。
優秀な人ほど陥りがちなこの態度。
彼に足りなかったのは、本当の意味での「話を聞く」姿勢だったように思われます。

おそらく「彼も話は聞いていましたよ」と言う方はいるでしょうが、それは相手の矛盾、論理的な欠陥を見つけるためのもの。
「あなたの考え」「あなたの立場」を慮って、話を真摯に聞きましょう、という姿勢ではなかったはずです。
とくに政敵と思われる人々には絶対的なロジックで挑み、言い負かして来ました。
これがマスコミの反発を生み、そこだけを集中的に報道され、社会的に弱い立場にいる人々(お年寄り、貧困層)を不安にさせてしまったように感じました。

「バスの無料パスを廃止するのは、老人の切捨てだ」と言われたとき、
「そんなことはありません。お年寄りの方々にも安心して暮らしていける街づくりをしていきます」
と言うのではなく、

「やはりお年寄りには、老人切捨てに感じられますか?」

と言うのが本当の話を聞く姿勢です。
相手に自分の思うところを充分に話をさせてあげ、最後に、
「おじいちゃん、おばあちゃんに無理をお願いして浮いたお金を、お孫さんの学校給食に回させて頂きました。家でご飯が充分食べられないお子さんがとっても多いんです。どうですか?それでもやっぱりお怒りはおさまりませんか」

と穏やかに表現できていれば、マスコミの評価も変わり、老人層の評価も上がったはずなのです。

正しい者こそ正義であるという論理は、私たちの社会では実は受け容れられないもの。
間違っている者も、その考え、その立場を尊重されて初めて納得するのです。
話を聞くというスキルは、相手を尊重し、味方につける素晴らしいコミュニケーション。

しかし、優秀であればあるほど、そうではない者の論理的欠陥、思慮不足、考えの浅さがすぐに目に入ります。
その欠陥を論理で突き崩すのはたやすいものです。
優秀な人はじっくり時間をかけるのが苦手で、「おまえは間違っている」「悔しいなら反論してみろ」と一刺しした方が話が早いと思い込みがちです。
ところが、論理で負けたものは、納得するより反発を感じて敵に回るから厄介。

この展開で重要な立場を失った歴史的偉人が、過去に何人いたことか。
もっと小さな企業社会では、日本のあちこちで毎日誰かが行っていることでもあります。

日本の社会では欧米のような相手を打ち負かす論理的強者よりも、穏やかに話の聞ける人の方が受け容れられる土壌があるようです。
企業で優秀なのに組織からはじき出されている人には、ぜひ学んでほしいコミュニケーションの取り方です。

とにもかくにも大阪都構想は頓挫し、橋下徹市長は政界を引退されるようです。
橋下市長にはこれまで本当によく頑張ってくださったとお礼をお伝えします。
大阪の斜陽は、秋の夕暮れのように急速にその速度を上げることは間違いないでしょう。
大阪市民はチャレンジよりもジリ貧を選んだのですから。

周りの人との調和を手にできる聞くスキルは、大阪・東京の教室で身につけられます。