黄昏の十八番ホール

平日のゴルフ場はおじいちゃんでいっぱいだ。
ロッカールームで聞こえて来る話は、「〇〇さん、今日はドクターストップでゴルフ休みやで」とか「変形性膝関節症のいい医者は知らんか」など、健康にまつわる話ばかり。

幸せな最終ホールを迎えるおじいちゃん達

以前、たった120ヤード後ろから打ち込んで来るおじいちゃん三人組に出会った。
私たちの頭の上を越してドライバーショットを打ち込んで来るおじいちゃんに、「危ないですよー」「前にいますよー」と大声で呼びかけたが、全く反応がない。

ハーフが終わってから係りの人に、「後ろのおじいちゃんが危ない」と伝えて午後のハーフへ。
すると先ほどのおじいちゃん達が謝りに来た。

「すんません、打ち込みましたか?何番ホールですか?」と全く気づいていないご様子。
果ては「わしらもう八十過ぎてましてな、目も見えまへんねん。耳も聞こえまへんねん」とのお言葉。
「へー、こわーい。どうか頭にだけは当てないで下さい」とお願いして、後ろを振り返りつつ駆け足でゴルフを終えました。

八十のおじいちゃんに謝られると、もう怒ることはできません。

また別の日。私たちの前でプレーしていたおじいちゃん達も、みんな八十前後に見える方々。
お一人はおみ足が悪く、ゆっくりとしか歩けない。
そんな方でもゴルフができるのか!と感動しつつ見守っておりました。

おじいちゃん達のプレースタイルは様々。
以前出会った方々は、和気藹々と楽しそうでした。
でもこのおじいちゃん達には会話がほとんどありません。

何より自分のボールがカップに入ると、スタスタと次のホールに向かいます。
こういう時は全員のプレーが終わるまで見守り、「ナイスパー」とか「ざんねーん」などと声を掛け合うのがマナー。
でもおじいちゃん達は他の人が目に入っていないかのようなプレー振り。
最後のプレーヤーは、グリーンに一人残されて寂しくカップインするのです。

それはきっと終わった人から早く次のホールに向かわないと、進行が遅れるからなのでしょう。
和気藹々だけが楽しいゴルフではないことを教えてもらいました。

「次もまた行けるかね」
「どうだかね」
「死んでなかったら行ったらええやん」

「来年の花見ゴルフまでは生きていたいね」
「あんた、去年もその前も同じことゆうてたで。いつまでも死なんくせに、よーゆうわ」

そんな軽口を叩きながら、お風呂で語り合うおじいちゃんを見ると、
よく生きてこられたのだな、いい人生を送って来られたのだな、と頭が下がるばかり。

黄昏の十八番ホール。あなたには誰が待っている?

齢七十を過ぎて、仲良しが三人以上集まれて、健康で、お金に余裕がある。
そんな人生を送れる人が果たして何%いるでしょうか。

黄昏の十八番ホール。
あなたはどんな人と、どんな気持ちで過ごしていますか?

幸せな最終ホールを向かえる人は、必ずコミュニケーションに留意して来た人です。
他人の気持ちに寄り添い、笑いがあり、話を聞く余裕がある。
怒りの気持ちを上手に伝え、トラブルやわだかまりを残さない。

そんな力を磨いて行けば、最終ホールのグリーン上にはきっと温かな笑顔が待っているでしょう。

コミュニケーション能力の価値を多くの人は過小に考えています。
自分は大丈夫、できていると考えがちです。

コミュニケーション能力が高いか低いか。
それは現実に如実に現れます。

家庭が愛にあふれ、会話に満ちている。
仕事で協力してくれる人、サポートしてくれる人が多くいる。
人生に敵がいない。
争いがない。
我慢していない。
お金に不自由していない。

これがコミュニケーション能力のある人です。
とくに「聞くスキル」を多くの人が誤解しています。
本当の聞くスキルは、相手の隠された力を引き出し、ストレスを癒し、隠された考えを導き出すスキルです。

コミュニケーションに迷ったら、「話す」「説明する」と言った目に見えるスキルだけでなく、「聞くスキル」に目を向けるべきです。